1月23・24・25日

・1月23日。月曜日。本日締切の原稿(職場のレポートのやうなものだが)をこりこりと執筆。何とか書き終へて、メールで送稿。夜は後輩の大仕事が終わつたといふことで、友人Hに誘われて、神楽坂の「うぶ」といふお店で労ひの会。「雨後の月」「佐久の花」「水芭蕉」「飛露喜」など銘酒を次々にいただく。厨房の奥の窓から、大きい雪が高速で落ちてゐるのが見えてゐた。「雪国出身だから」と見栄を切つてゐたが、駅までの道で3、4回転びさうになつた。

☆初雪に俯いてゐるばかりかな

・1月24日。火曜日。仕事終へて、夜は歌舞伎町で句会。俳句をはじめて以来、初の「ヤキトリ」であつた。結構真面目に作つたつもりであつたが、俳味といふものをはき違へてゐるのだらうか。俳句をはじめて、いよいよ視野狭窄といふことを思ふ。殊に句を選ぶときには、何かの「基準」がないと選べない。と思つてゐたのだが、その瞬間に視界が狭まつてしまふのではないかといふ恐怖である。まあ、17文字だからそれができるわけですが。疲れてゐたので、ビールを3杯ほどにして、K酔さんと帰宅。

☆ひたすらに凍死を避けて生きにけり

・1月25日。水曜日。今更ながら、スヌード・マフラー(輪つかになつてゐるやつ)を購入。しかし、いざ買つてみたら意外と大きくて、巻き方がいまひとつわからない。今日はお休みだつたので、昼に吉祥寺シアターへProject Nyxの「浅草版 くるみ割り人形」を見にいく。あんなに奥行きを使つてはいけない。そうでないと、ごちやごちやした感じがでない。夜はスパイラルガーデンにて、千年の聲プロジェクト「存亡の秋」。構成とかよくわからなかつたが、不思議な音楽体験であつた。夜は神保町の店Gで軽く飲んで、J子さんと帰宅。

☆マフラーを捲いて未来の人となる

1月20・21・22日

・1月20日。金曜日。雪降る。大学にて論文集の発送作業。宛先シールをせつせと貼り、時折まんぢうを食ひつつ、封をしてゆくといふ単純労働。日が暮れる前に、300通強の封筒を作り終へることができて、本当によかつた。夕方からの研究会をこなして、10時すぎから神保町のお店にて友人H子嬢の誕生会に合流。合流した頃には主役はとうに酩酊状態であつたが、「肝心のこと」は口を割らず仕舞ひ。その後、近所のバーで呑み直し、最終的には浅草橋のT彦さんの家に4人でお邪魔させていただくことに。

大寒にかまけて離婚考へる

・1月21日。土曜日。早朝、和装のA子さんとともにT彦さんの家を後にする。隅田川にかかる鉛色の雲が寒々しい。午後から、結社(合法組織)の年次総会。普段、一緒に句会をしてゐる方たちが次々に受賞していく姿を見て嬉しくもなつたし、悲しくもなつた(なぜなら、賞に応募してもゐないからです)。総会のなかで受賞作の評が全くされなかつたのは残念だつたが。場所を神域に移しての新年会は一転、大盛り上がりのパーティとなる。しかし皆さん飲み足りず、場所を神保町に移して2次会。さらに残った10人で餃子屋で3次会。12時すぎに帰宅。

・1月22日。日曜日。午後から出勤。中野の喫茶店で少し休憩して、10時すぎに帰宅。録画で「NHK俳句」見てゐると、ゲスト出演してゐた日本料理人の野崎洋光氏が以下のやうな句を披露してゐた。〈春季寄せ烏賊ニンジンは奥の味〉。「いかにんじん」は年末に福島に帰ると必ず食卓に出るので、昨年末に〈大皿のいかにんじんや去年今年〉と詠んでみたが、かくもすぐに「いかにんじん句」に出会ふとは。野崎氏は福島の石川郡出身で学法石川卒。掲句は、秋に採れた人参が冬を越して春先に向かつて甘くなつていくといふ面に着眼。さすが味はひのプロである。

1月17・18・19日

・1月17日。火曜日。夕方から友人Kと新国立美術館の『野田裕示 絵画のかたち/絵画の姿  NODA Hiroji 1981-2011』へ。明日よりはじまる展示であるが、ご好意にもレセプションに招待して頂いたので、野田さんの「30年分」の作品をゆつたりと見て回る。「抽象的なものが具体化する寸前」を捉えたやうな造形が非常に面白い。哲学が言葉のダンスであるならば、絵画はイメージのダンス。そんなことを思つた。美術館を出てまだ6時半だつたので、神保町のお店にご案内する。マスターの奥さんの従妹が画家であるらしく、店の奥から画集を引つぱり出してきてくれた。そんなこんなで、結局11時まで。

・1月18日。水曜日。金曜に休みをもらふために、歯を食ひしばつて出勤。第146回芥川賞の受賞者である田中慎弥氏の会見が話題となつてゐる。まづ石原都知事芥川賞の候補作品をくだらぬものばかりと切り捨てたのを受け、田中氏が反撃。そして今日、知事が芥川賞の選考委員の辞意を表明した。

・1月19日。木曜日。

1月14・15・16日

・1月14日。土曜日。とてもいい天気だ。寒の入りをしたといふのに関節がよく動く。今日は、午後から森下へ。からうじて月に1回は定期開催してゐるフットサル会。しかし、ここ1年で急に人が集まらなくなつてきた。思へば、大学卒業後に九州に帰つた(あるいは転勤になつた)友人が4名、海外に赴任した友人も1名。今日来てくれた一人も、来月から台北に赴任といふ。結婚(あるいは不倫)をしてゐる者も増えた。これは一寸、声のかけ方を変えなければならないのかもしれぬ。しかし、今日のサッカーは楽しかつたなあ。都合が合はないのが至極残念だ。終了後は近所の居酒屋で3時半から飲むことに。しかし卓を囲んでゐるのは4人。10時半帰宅。

☆隣は大会寒九のフットサル

・1月15日。日曜日。午前中から国立へ。「センター試験」と掲示された一橋大学を横切つて、谷保天満宮へ。大学在籍時、国立府中インターから合宿地へと向かふときに素通りしたことはあつても、中に入るのはこれがはじめて。入口から濛々と煙が上がつてゐるのが見える。「どんど焼き」である。合流した20数名の知人とぞろぞろと城山などを見て、大学通りのジャズカフェで句会。地名としての谷保は「やほ」、天満宮などにつくときには「やぼ」と。国立に4年間住んでゐたが、初めて知つた。この会は西東京に縁のある人の集まりなので、話がいろいろと弾む。夜は新大久保で別の句会の打ち上げに合流。メニュー板についてゐるゲームで思いのほか盛り上がる。11時半帰宅。

伊勢丹の袋焼かるるどんど焼き

・1月16日。月曜日。

1月11・12・13日

・1月11日。水曜日。昨日締切の原稿をメールで送稿して、神楽坂へ。2010年の4月からゆつたりとやつてきた仕事に、これで一区切り。肩の荷がすうと下りた気分である。といふことで、21_21 DESIGN SIGHTにて「アーヴィング・ペンと三宅一生展」を、森美術館にて「歌川国芳展」「メタボリズム展」を見る。美術館をこれだけ梯子するのも久々だなあ。どこで話題になつてゐるのかは皆目見当もつかないのだが、国芳展は大変に賑わつてゐた。没後150周年とのことで、展示数もかなり意欲的だつたし、わかりやすくジャンル分けされてゐたので、私のやうな美術音痴にはありがたかつた。夜は日比谷シャンテで「灼熱の恋」といふ映画。映画的な戯曲なのである程度は予想はしてゐたけど、評判通り、よく出来てゐる。おすすめ。

・1月12日。木曜日。今更ながら、今日より仕事初め。いろいろと溜まつた事務仕事を片づける。いろいろと書類が届くシーズンなので、何かと慌ただしい。とはいえ夜は、近所の焼肉屋に流れて新年会。前に来店したときは、マッコリの蓋が開いてゐて、想定以上に「発酵した」マッコリを飲まされたのだけれど、今日は大丈夫だつた(と思ふ)。サムギョプサル、チヂミ、トッポギなどが次々に出てきて、最後はビビンパでしめ。たと思ひきや、高田馬場駅前にて移動して、もう少しばかり飲み直すことに。ただし、大方のみなさんは帰途につかれた。1時頃に帰宅。

・1月13日。金曜日。

12月30・31日・1月1日

・12月30日。金曜日。からだが完全に休みきつてゐる。明日締切の原稿がひとつがあつたけれど、ものの見事に諦めて帰省。16時すぎに福島着。夜はUの発案で、高校の同級生たちと同窓会。20人ほどが集まつた。殆どの連中は、高校卒業以来だから10年ぶりである。最近はよく「太つたね」「禿げたね」と言はれるのに、この場では誰一人としてさういふことを言ふ者がゐない。昔からさうだうたつたろう、と言はれた。なるほど。さう言へば、さうだつたかもしれない。3次会まで顔を出して、早めに2時半頃に帰宅。

☆歳晩の帰省や他人(ひと)の尻に触れ

・12月31日。土曜日。うう。やや二日酔ひである。我が家のパソコン(15年間ウィンドウズ一筋)をMacにするのは猛反対に合ふので、ipadを導入することにした。これで電子辞書を買ふ必要もないし、パソコンにつなぐカメラを買つたり、スカイプのアカウントを取つたりする必要もない。ただし、想像するに、かなり中毒性があるので、その点は注意されたし。夜は例年通り、紅白を見て年越し。過剰なまでの東北押し。ガガに和田アキ子、長渕にサブちゃん、と。1時頃に帰宅する。

☆みちのくと言ひて済ませし去年今年

・1月1日。日曜日。元日早々、たつぷり朝寝をして起きる。全日本女子サッカー選手権(こちらも「天皇杯」でよささうなものなのに)を見ながら、毎年のやうに雑煮を食ひ、親戚にお年賀のご挨拶に向かふ。午後は従兄弟の子供(3才くらゐ)と遊びながら、天皇杯をテレビ観戦。今年は初めてのJ2同士の決勝戦である。試合内容は来季からJ1にあがるFC東京の圧倒。しかし監督退任の前日の優勝とはこれ如何に。夕飯の後は訳あつてラヂヲを聴く。放送内容は想像していた以上に華やかだつた。幸先がよい。

☆新聞紙丸め闘ふお元日

12月15・16・17日

・12月15日。木曜日。夜、ひさしぶりに上野の東京文化会館にピアノを聴きに行つた。ロヴロ・ポゴレリッチ(1970-)といふ強面の演奏家のリサイタルである。前半はリストが中心で、後半はムソルグスキーの「展覧会の絵Tableaux d'une exposition」(1874)。展覧会…はやや期待外れだつたが、アンコールの最後の曲がリストの「灰色の雲Nuages Gris」(1881)といふ曲だつたのが印象的だつた。音が少しづつずれていく、ゆつたりとした暗い曲。素人考へだけど、かういふ曲を最後にもつてくるピアニストも、なかなかいないのではないかなあ。上野駅前の居酒屋でひとり酒。ホッピー黒を2杯に、魚串などをば。

☆晩年のリストを聴くといふ寒夜

・12月16日。金曜日。いつもより少しだけ早起きして、ひさしぶりにお弁当を作る。一昨晩作つたおでんの残りと、牛肉と玉葱の炒め物、サラダ、冷凍食品の白身魚フライ。今日はひたすら原稿執筆。「要約しにくいもの」についてわかりやすく書くことがなかなかできず、今日までひつぱつてきたのだけれど(すみません)、半日がかりでようやく提出することができた。5、6枚程度でと言はれてゐたのだが、結局20枚近くになつてしまつた。しかし、考へ倦ねての20枚であるので仕方なしと思ふ。5、6枚で書けるものなら、方法を教へてほしい。駅前の焼き鳥屋でホッピーの黒を2杯に、串焼きなど。

☆男子弁当よべのおでんを詰め込みて

・12月17日。土曜日。8時半に起きる。やはり冬物の蒲団はぬつくりして気持ちがよい。結社の吟行のために横浜へ向かふ。渋谷駅で主宰の赤い後ろ姿を発見して、目的地まで一緒に移動する(話は変はるが、東横線のホームで高校の同級生Sにばつたり会ひ、声をかけられた。よくわかつたなあ)。見事な冬晴の下、30名余りで石川町から異人館などを回つて、中華街にて句会。比較的若い(!)40代の方から、上はおそらく70代の方まで、「前提を共有してゐないとわからない話」を聞くことができるので面白い(わたしは「全然知らない話」を聞くのが好きなのである)。たらふく紹興酒を飲んで、7時すぎに散会。YさんやNさんたちとJR経由で帰宅。

☆水洟のフェリス学院女学生