5月8日・9日

・5月8日。昨日から寝過ぎだ。10時間以上寝ている。成長期ならばよいのだが。実体はただのアホウである。アホウなりに少しだけ仕事をして、夕方から世田谷パブリックシアターの「日本語を読む」という企画の第三弾。柴幸男、アメリカ人だったら「ハッピーマン」。ハッピーマン・シヴァ。しかし、こういう場合「演出」とは何を指すのだろう? 別役実だからというのもあるが、新しい「読み」が示されていたとはいえない。少なくとも、わたしはあまりハッピーな気分ではない。
今年で3年目の企画だが、今日1日だけでいろいろと疑問が沸いた。これは、誰のための企画なのか、と。
 ・若手演出家につばをつけておくための企画。
   →どうせちやほやされる若手なんて決まってるんだから、より手近なリーディングで子飼いにしておく。三鷹市→世田谷区→豊島区という、なかなか大きくならない出世魚。公立劇場の養殖企画。あるいは、紀要論文での論文量産みたいな(ちがうか)。
 ・若手劇作家に演出の基礎を教え込むための企画。
   →自分で書いて好き勝手演出するという、まあ野田秀樹とか岩松了レベルならさておいて、結局のところ「日本的な」作=演出システム(システムというか手抜き)に安住している若手に、ちゃんと「テクストを読む」ことを教え込む。うむ。大事なことだ。文系大学生でもちゃんと読めてなかったりするわけだから。
 ・第二の「友達」の伏線
   →公立劇場の役目は「日本語の」テクストを若手にもやらせることだ、と。ひとつの前のとは似ているようでちょっとちがう。話題性で集客確実な企画のたまごというのが主眼である。しかし、ちゃんと目的をはっきりさせておかないと「日本語を壊す」ことにもなりかねない。たまご割ってみたら空っぽだったりする。むしろ、ふ化していたくらいの過ちがほしい。
 ・安価な価格での観客養成
   →なんてったって1000円、学生は500円である。安い。牛丼チェーン並み。ワンコイン演劇。そこに集まるワンコイン観客。だったら本格的に観客にもちゃんとテクストを読んでもらったうえで、演出家が途中で止めたり、それで俳優とケンカして険悪なムードになるとか、そういうスジナシの本読みをやってほしい。あってもいいけど、プロレスくらいのことは、やってもらわないと。

というわけで、まだ「演出」を置く意味が明らかではない。明らかにしたいのなら、1つの作品に同じ俳優とふたりの演出家がつく、という企画のほうが明らかに面白い。それでふたつとも似たり寄ったりだったら、演出の力も似たり寄ったりだということでだめだということになるし、そこで奇をてらったことをやろうとすれば、やっぱりだめだということになる。「読み」の真剣勝負。つまり、真剣には見えなかったということだね。

・5月9日。ひねもすだらり、だらりかな。発表原稿まったく出口見えず。昨日の夜は、大学のクラスの友人2人と吉祥寺で飲む。ビール1杯とホッピー3杯。シンガーソングライターをやっている友人のほうに、いろいろ「打開策」を提案してみたのだが、まったく見向きもされず、却下となる。