6月4・5・6日

6月4日。晴れ。午後から出動。今期から勤務怠慢により(?)仕事時間が削減された事務作業をしつつ、夕方からノマドな懇親会。後輩がつくってきてくれたハンガリー料理などをつまみながら、缶ビールを5、6本ほど。ここのところ疲れが抜けないし、今日のところはそれで帰るつもりだったのだが(雨降ってたし)、運悪く帰りに酔っぱらいにからまれて、下北沢の沖縄料理屋で5人で朝まで飲むことになった。そこで泡盛を3杯ほど。
☆夏草に車座となりノマドの会

6月5日。店を出ると、雨はあがっているが、頭があがらない。クリアーな味の焼酎(「黒真珠」という泡盛)だったせいで、アルコール度数(43度くらい)を忘れて、つい飲み過ぎてしまったらしい。始発で帰宅して、ロイヒを貼って布団に潜り込む。なんとか14時台に起き、S大で研究会に出席、その後、青山銕仙会でディディエ・ガラスの「アルルカンVS天狗」を見る。原宿で仕事上がりのボンバーと落ち合い、渋谷・新宿で軽く飲む。
☆彷徨いて天狗に会いし木下闇

6月6日。日曜日、晴れ。昨日からインターネット不通と飲み過ぎのせいで、いろいろ更新が滞ってしまった。午後から新百合ケ丘にてアル☆カンパニーの「家の内蔵」、夕方から三軒茶屋でとある会合に出席。重要なのは、どういう「歴史」に応答してつくっているか(つくってしまったか)という話であって、それ以下でもタコでもない。ましてやスルメでもない。そういう壮大な見取り図を立てる人がいなくなったのは、何も演劇/ダンスに限ったことではないが、最近、武智鉄二から郡司正勝にかけていろいろと読み直していると、そうした疑問と情熱に絡めとられること必定である(マルクスと全然関係ないテクストでも、やっぱり物語が大きいというのは、時代なのでしょう)。しかるに、必死こいて「大きな物語」を語ろうとして頑張っている人がだいたいにして、ものすごく私的な、「小さな」物語を語ってしまう状況にあって要求されているのは、きわめて「雑な人間」なのであるよ。うむ。これはチャンスだと捉えよう。わたしもまた、資質的に雑な人間であるからして。
☆新緑に広げてみばや大風呂敷