10月16・17・18日

・10月16日。日曜日。早朝、起きて翻訳の仕事を進めやうとするも、断念して二度寝。9時までたつぷり朝寝をする。9時半すぎに(Kを置き去りにして)ホテルを後にして、岩木山のバスまでのあひだ、秋雨のなかを弘前城跡に向かふ。駅から「フォレ」といふ朝市を通つて、アーケードを抜けて、30分ほどで弘前城跡。昨日、同席してゐた女の子に「弘前城は何もないよ」(※津軽弁)で言はれたとおり、何もなし。ただ、岩木山方面はなかなかの景だつた。そこからバスに揺られて岩木山へ行つてしばらくしたところで、Kが新郎をタクシー代はりとして後から到着。ほんまに、ずうずうしいやっちゃなあ。昨日は3時すぎまで飲んでいたが、あまり覚えてないらしい。三人で下山して喫茶店でのんびりとしていたら、空港行きのバスを逃し(時間を間違へていた)、仕方なくタクシーで空港まで。19時前に東京着。楽しい旅行だつた。次に会ふのは、また5年後かなあ。

☆街中に林檎情報流れけり

・10月17日。月曜日。思いつきり現実に戻される。目の前に全然手をつけてゐない締切が2本(明日締切の書類を合はせると、3本)。「楽しみにしてゐる」といふのは厄介だ、と常々思ふ。仮に2週間後の何かを「楽しみにしてゐる」としやう。さうすると、とりあへずその2週間後のイベントが待ち遠しくて、時計が早く回ることを願つてしまふ。これがいけない。本当ならば、そのあひだに「やらなければならないこと」が、たくさんあるはずだからである。これに対処する方法はふたつ。極力、あまり先のことは「楽しみ」にしてはいけない。眠れなくて苦しむのは、遠足の前日だけでよい。もうひとつは、「やらなければならないこと」を「やらない」。これをやると、いろんな人から嫌はれます。つまりまあ、今日はさういふ一日だつたのですね。見事に翻訳の締切(←かなりまずいところまで来ていることは認識してゐる)をすつぽかし、論文の提出は取り下げてしまつた。やけ酒。

☆秋の暮はうれい線がくつきりと

・10月18日。火曜日。今日も一日書類書き。思つてゐたより分量がある。これは大変だ、と思つてゐたのだが、いざ書きはじめると楽しくなつてきてしまつて、すいすいと筆が進む。でも、この書類が通つてしまつたら、規定により、学生をやめなければならないのである。なんといふパラドックス。ついさつきまで、こんなもの手を抜いて書けばよろしい、と思つてゐたのに、早くも愛情が芽生えはじめてゐる。「お前に人は殺せない。そのくらい、俺にもわかる」。うーむ。かういふ算段が脆くも崩れ去つてくれることを願ふ。ひとつ、「やらなければならないこと」(←かなりまずいところまで来ていることは認識してゐる)が残つてゐるが、これでとりあへず、複数のことに悩まされるといふことがなくなつたので、一安心。駅前で日本酒(「天寿」)を全うして帰宅。

☆研究の計画立てるそぞろ寒

9月25・26・27日

・9月25日。日曜日。11時頃に起きる。秋晴れ。午後から豊島区界隈にて人前で話をするお仕事。15人程の聴衆のなかに、知り合ひが4人も来てくれて、嬉しい限りだつた。恐れ多くも話をさせてもらつたのは(あまり盛り上がらなかつたけれど)、文章の主体性について。ただし、さういふ難しい言葉は一切使つてゐません。文章の主体は実は「私」ではなく、「私」と「私に考へるきっかけを与えてくれた人」と「私とは別の考へをもつてゐる人」の三者が混在してゐる。といふか、さういふ風に書くと、読み手は「面白い」と感じるのではないか、といふやうな話です。しかし、思ひ返すと、ちよつと言葉足らずだつたやうな気がする。反省点多し。ただし、お世辞でも「面白かつたです」と言はれるのは嬉しいものだ。これからはもつとお世辞を言はうと思つた。ドーナツを食べて8時半頃帰宅。今日は休肝日。

☆ドーナツがまた百円や秋の宵

・9月26日。月曜日。くもり時々雨。土曜に出勤だつたので、今日はお休みをいただく。家のなかで黙々と翻訳。といふ具合にことはうまく運ばない。いつだつて前途多難。夕方から神保町に足を運び、月例の超結社句会。98人が5句づつ投句し、各人がそこから5句を選ぶ(巧い人は10句)。今月の密やかな目標は「5句あつたら4句は真面目につくる」だつたのだが、「どうしたの、真面目だつたね」とS西さんが言ふ。その通りだ。今月は心を入れ替へて、真面目に作るのである。しかし、残りのふざけた句に点が入らなかつたのは、反省点だなあ。来週はもう少しふざけやう。11時頃まで店の外で赤ワインをがぶがぶ飲みながら、俳句とは何たるかといふ話など。そのあとは中華料理屋で30分ほど歓談。離婚調停中のMさん、バツイチのSさん、今度4度目の結婚とするYさんらと結婚(離婚?)の話など。KKさんと中央線で帰宅。

☆無点句は忘れてしまふ夜長かな

・9月27日。火曜日。8時に起きる。いつもは10時開始の会議が、やんごとなき人たちの事情により、繰り上がつたため。ちやんと起きられたからよかつたものの、辛かつた。昨日、調子に乗りすぎて飲み過ぎたのか、やや宿酔気味。しかも翻訳のデータを家に置いてきてしまつて、なんたる「どじつ子」ぶりであらうか。さてさて、夜は7時から新宿ルノアールにて句会。先月は「見学者」だつたので、今月から正式参加。この場限りの俳号を「菖蒲」とされる(雑談の流れで)。「菖蒲園」のはうが名乗りに勢ひがありさうだが、披講時のメモ書きにいちいちさう書くのは大変だからねえ。主宰は「取り忘れた」と言つての追加選だつたのだけど、それを含めたら6点の最高得点をいただいて、皆さんから素敵な講評をいただけたのは、嬉しかつた。いつもの居酒屋でピザなどをつまみながら、ビール1杯と赤ワインのデキャンタを1杯ほど。K酔さんと中央線で帰宅。

蚯蚓鳴く日に俳号を賜れり

9月22・23・24日

・9月22日。木曜日。晴れ。昨日の一件でさっそく朝方に電話があり、まづは現場を見せてほしいとのこと。といふわけで明日、見にきてくれることになつた。今日は普通に仕事をして、夜は新宿でミナモザの「ホットパーティクル」を観劇。劇中に「ミナモザはいちおうドキュメンタリー演劇を主としてゐる」といふ内容の自己言及的な台詞があるのだが、いわゆるドキュメンタリー演劇ではない。劇団主宰者が「行動的」なだけである。原発について何かをつくらなきゃ!と思い立つた劇団主宰者が「福島に行く」といふのが主筋ではあるが、そこに日常(といふか恋愛的生活)が交じり込んで一体化する(←このあたりは瀬戸山の「行動的」な部分であらう)のがポイントなのでせう。この主宰者役を福島出身の女優にやらせるのなら、この女優の生活が入つてきても面白かつた(もっとわけがわからなくなつた)だらうし、そこらへんはドラマターグなる役割が最後まであいまいなままだつたことで、かなり「ゆるい」仕上がりになつてゐたやうに思つた。終演後、知人と近所の居酒屋で瓶ビールを2本ほど。

☆秋の蚊の来て友達がまだ来ない

・9月23日。金曜日。秋分の日の秋晴れ。昼食は近所のカレー屋にてはうれん草のカレー。ネパール人店主と一昨日の台風の話など。午後に管理人の立ち会ひの下で施工業者のおじさんが来てくれて実況検分。まだわからないので調査しますといふ回答だつた。夕刻から竹橋の学士会館にて天野小石さんの第一句集『花源』の出版記念パーティ。少しだけ小ぶりなサイズに美しい日本画が描かれてゐる装丁と、それにぴつたりと重なりあふやうな史的/詩的な句集である。京都と鎌倉といふ二つの古都をめぐる句が多いが、歴史学的な意味とはまた違つた歴史がそこには表象されてゐる。なんて難しい話は抜きにして、神保町のお店での2次会、そして3次会はパセラでカラオケといふ流れ。すべてが終わつたのは深夜2時で、当然帰ることができないので、若手(俳人)の人たちとともに、M上さんのご自宅にお邪魔させていただく。あの奇麗な部屋にビールをぶちまけてしまつた。本当にすみません。

☆古都の秋老ゆることなき言葉たち

・9月24日。土曜日。早朝5時半頃にアニメを見終えたOくんを残して、Mさん、Rちゃん、Fちゃんと4人で先に退室。本所吾妻橋駅から浅草駅を目指して歩いてゐたら、やや迷子になつてしまひ、危うく吟行が始まるところだつた(さすが俳人である)。ほとんど眠りながら、8時頃に帰宅して床につく。3時間ほど寝て仕事に向かふ。仕事を片付けて、夜は森下で2か月ぶりにフットサル。来月から仕事でメキシコに赴任するIの壮行会も兼ねてゐたので、心なしか、いつもよりI木にボールが集まつてゐた気がする。終了後、みんなで近くの居酒屋へ。壮行会のはずなのに、来月結婚パーティをするNが奥さんを連れてきたので、とてもコングロマリットなお祝ひの席となつた。なのに相変はらず、ドラマのやうな恋(妻子持ちの39歳の上司との不倫)に憧れるSへの説教。もちろん我々は、ポストドラマ的な恋をせよ、と言つてゐるわけではありません。そんな話を肴に、T原と新宿駅で飲み直して終電で帰宅。

秋桜グアダラハラが赴任先

9月19・20・21日

・9月19日。月曜日。昨日は3時間ほどしか寝てゐなかったので、たつぷりと寝て体力回復。午後からKさんとモダンスイマーズの「どん底スナイパー」を観にいく。今回はいつも作品を書いてゐる蓬莱竜太が「お休み」で、いつも役者で出演してゐる古山憲太郎が作・演出。中学生や高校生が演じたら、きっと面白いのかなと思はせる作品だつた。ただし、ストーリーがかなり「ありさう」な話である分(「20世紀少年」を圧縮したやうなお話である)、細かな部分の粗が目立つてしまつていた(刑務所の面会室で物を手渡せるのかや、そもそもどうして刑務所に入つた犯罪者がタイムマシーンの実験台となつてゐるのかなど設定がやや「小劇場的」だつたか)。少し早い時間だつたけど、終演後は渋谷の沖縄料理屋で軽く飲みにいき、俳句の話とバシュラールの詩論(のだめさ)などについて。

敬老の日のタイムマシンばなし

・9月20日。火曜日。台風が接近してゐるらしい。なんとなく仕事が落ち着かない感じがした。夕方から神保町のお店にて、Wさんの送別句会。Wさんは、ぼくがまだまだ新参者であつた頃から温かく迎え入れてくれた方の一人である。お仕事を退職して、お母様の介護のためにご実家の四国中央市に帰られるとのこと。50年ぶりに故郷に舞ひ戻ることを決めたのは、もう7〜8年も前のことらしく、話を聞いているうちに2050年頃(生きてゐれば67歳)の自分の老後の身の処し方を妄想してみたりもする。そして、4句選ぶなかでWさんの句を2句もいただけたのは、嬉しい限りであつた。テクニカルなレベルでの巧拙ではなく、読み手の「想ひ」と「ことば」の関係(「ことば」の外側にゐるのではなく、「ことば」のなかで溺れるやうな関係)が滲み出てゐた句だつたと思ふ。句会の後はもちろん酒宴。K人さん自ら捌いたといふ鮪の刺身うまし。

☆秋遍路清記用紙が納札(おさめふだ)

・9月21日。水曜日。窓を叩く雨音で目覚める。ただいま大型台風が通過中。3時頃から6時頃までは家から出られる状態ではなく、ちやうど仕事が休みだつたので、よかつた。部屋のなかでぬくぬくと……と油断してゐたせいか、まさかの雨漏り。慌ててボウルで水滴を受けにゆく。天井を見やると、1メートルほどの亀裂が入つてゐて、その中心部に1センチほどの穴があいてゐる。最上階ではないといふのに、一体どうしたことであらうか。大家さんも、不動産屋も電話が通じない。とりあへずは、穴が開いた部分がほんのすこしでよかつたよかつた。明日、また電話してみることにしよう。夜は台風もおさまり、爽やかな風を感じる。友人Fの誘ひに応じて、吉祥寺で軽くビールを飲む。電車がなくなつてしまつたので歩いて家まで帰る道、井の頭公園の周囲は折れた木々や葉っぱで満たされてゐた。最近、目が悪いのでうつかりしてゐると、枝が突き刺さつてしまふ。

☆さまざまな枝葉の道を台風過

9月13・14・15日

・9月13日。火曜日。通常業務。夕方から青山一丁目ゲーテ・インスティチュートにルネ・ポレシュの「あなたの瞳の奥を見抜きたい、人間社会にありがちな目くらましの関係」の記録映像鑑賞会。7月のリーディング公演は見てゐないけれど、再来週の来日公演に合はせて、ドイツの「最近の」演劇を見ておかうと思つてのこと。さういふ志もたまには大事。しかし、ヨーロッパだとこれが面白いのだらうけれど、日本でこれをやられてもなあという感じだつた(「タイトルからして刺激的」のやうなことを言ふ人がいるけれど、ねえ)。機材トラブルで途中何度か映像が止まつてしまふといふこともあり、ストレスフルな2時間だつたなあ。アフタートークは聞かずに神保町のお店へ。カウンターはIさんだけ。青春とともにあつた芝居の話など。帰つて翻訳を片付けやうと思つたが、寝てしまつた。

☆結局は夜食を食べて寝てしまふ

・9月14日。水曜日。午前中からやんごとなき会議。そのあとも打ち合はせが続き、思ひのほかに余裕がなく(ふつうの仕事だつたら当たり前の話だが)、翻訳が進められない。困つた。夜は下北沢にてがみ座の「空のハモニカ」という芝居を観にいく。金子みすずの伝記的作品である。といつても「美しい」みすずを描くのではない。確かに旦那は駄目な男なのだけれど、エゴイスティックである意味では「ふつう」のみすずである。入念に調べられてゐるし、自伝だから重厚だ。だからあの下北沢の100人程度の「小劇場」では勿体なかつた気もするが(代はりに衣裳や舞台の味はひを間近に捉へられた)、劇作家・長田の手柄としては、みすずの子供の人生を辿って、それをみすずの人生に副筋として並べて提示したことだらうね。実に、演劇的手法に自覚的な劇作家である。だから演出家(扇田拓也)は広い意味での「演技」に集中できる。役割分担がしつかりしてゐる。お互いが信頼しあつてゐる。いい芝居だつた。

・9月15日。木曜日。11時に起きる。結局、「当初の」締切日になつてしまつたのだが、何とか15時頃に作業を終へる。なにせ映画の字幕をつくる(埋め込む作業ではなく日本語字幕の文字数やバランスなどを調整する)のは初めてだつたので、予想以上に時間がかかつてしまつたのと、あとは腰痛に気を取られてゐて、あつと言ふ間に時間が経過してしまつた。せつかく休みをもらつたので(5連休である)、本当はとつくに仕事を終へて帰省する予定だつたのだが、福島に到着したのは夜の7時頃。東京もさうだが、まだ秋といふ感じではない。家で小皿料理をつまみながら、ヱビスの大瓶を1本ほど。

9月7・8・9日

・9月7日。水曜日。完全オフである。まだ腰が痛いので、部屋でDVDでも見ることにする。あまり頭を使ひたくないので、『悪人』といふ映画を選ぶ。妻夫木聡深津絵里といふ組み合はせにそれほど引かれなかつたのだけれど(二人とも野田地図で見たことがある)、いまひとつだつた。図式的に言へば「共同体崩壊→感情崩壊→事件」といふ因果関係を根拠にして、まづ「佐賀の田舎」と「福岡の都会」といふパラレルワールドがあり、「佐賀の田舎の男」(妻夫木)が「福岡の都会の女」(満島ひかり)に関係性を求めた結果(半ば偶発的に)殺してしまつて「佐賀の田舎の女」(深津絵里)と逃避行するけれど、やつぱり関係性を構築できないといふ筋である。さう考へると、殺された「福岡の都会の女の父親」(柄本明)が、娘を山に置き去りにした(殺される原因をつくつた)「福岡の都会の男」(岡田将生)に説教にいくのは完全に副筋なわけで「誰が悪か」といふ問いには実は答えが出てしまつてゐるのである。「都会的なもの」が悪であると。といふやうなことはすでに誰かが言つてゐると思ふけれど、あまり天才肌の脚本家ではなく、かなり図式的に物事を考へるタイプの大衆作家なんでせう。まあ、たまにはかういふ映画を見るのもいいかなと思つた。

・9月8日。木曜日。今日もオフである。今週は空けやうと思えば水曜から日曜まで時間があつたので旅行にでも行かうかと思つてゐたのだが、ちよつと難しいかしらねえ。今日も部屋で翻訳などをしつつ、『ブーケガルニ』(2009)といふ映画を見た。週刊誌に書いた記事がきつかけで殺人事件を誘発したことがあるゴシップ記者が復讐されるといふ他愛もない話。あまりにつまらなかつたので、ふてくされて寝ることにした。

・9月9日。金曜日。緊急召集され午前中から出勤。資料作成など終へて、帰らうと思つてゐたら、知人から「今から神保町に来ませんか」の連絡。7時すぎに神保町のお店に到着し、NさんにK島さんといふ方(同業なので名前は知つてゐた)をご紹介いただく。少し話してみただけで、「さうさう、さうなんですよね」といふ話がぼろぼろ出て来る。楽しい夜だつた。少しだけのはずが、ビール1杯、シークワーサーサワー2杯、角ハイを3杯ほど。

9月4・5・6日

・9月4日。日曜日。10時に起きる。先日の話だが、友人Dに「福島の話が載つてるよ」と言はれて『ユリイカ』を買つた(普段はあまり買はない)。今回はB級グルメ特集である。『普遍論争』の山内志朗や、生命科学者の郡司ペギオ幸夫なんかも文章を寄せてゐる。が、ほとんどの文章が「B級グルメ」を定義するというところから始まつてゐる。要は、元々の定義(里見真三による)がここ数年で変わつてきたといふのがその理由だらう。里見による定義には「天ぷら蕎麦」や「握り寿司」などの高級食も含まれてゐた(ポイントは「コストパフォーマンスがいい」といふことであつて、その値段の安さはあくまで相対的なものだつた)。しかし、最近では「ご当地グルメ」の意味で使われるやうになつてゐる。これは間違いなく「B-1グランプリ」のせいですね。このイベントは2006年から始まつたものだが、「安くて旨い」に「地方性」が加はつた。けれど、A級/B級といふ区分は具体性の問題だと思ふなあ。つまり、B級といふと「寿司」であれ「カレー」であれ、具体的な食べ物で、かたやA級と言はれる食べ物はフレンチのコース料理とか会席料理といつたやうにもつと複雑であつて、特定の料理を名指すことができない。さう考へると、近年の「ご当地グルメ」はその具体性がさらに具体的(ローカル)になつたわけである。まつたくの素人考へですが。といふわけで、今日は一日論文を書いてゐた。

☆東京の窓も開けたる夜なべかな

・9月5日。月曜日。当然ながら原稿は終はらずに徹夜。ひさびさだから躰にうんと堪える。分量としてはあつても、まとまりがない気もするが、とりあへずは正午の締切ぎりぎりに脱稿。よかつたよかつた。審査で落とされる可能性はまだあるけれど、いまはそれは考へないことにしやう。夜は眠かつたけれど、今日が楽日らしいので、新宿で芝居を見ることにした。自転車キンクリートといふ80年代からある劇団の鈴木裕美といふ演出家の「鈴木製作所」第1回公演「ノミコムオンナ」。贔屓にしてゐる蓬莱竜太の作である。会話劇のほとんどがダンス(といつてもパントマイムも多い)となつてゐるといふ芝居だつた(冨士山アネットが以前やつてゐたやうな創作方法)。つぶれさうなボクシングジムが舞台。ジムには美人の娘がひとりゐる。入門仕立ての細身長身の青年(社交性はないが、上達は早い)が、娘の彼氏(社交性はあるが遊び人肌であり、ジムを潰してカフェにしやうとしてゐる)とその娘を取り合ふ。この娘は一見すると悪女(ファム・ファタール)のやうなのだが、彼女自身が世界をコントロールしてゐるやうには見えない。かういふ芝居を見ると、やつぱり蓬莱竜太といふ劇作家はミソジニーなのかなと思つたりもする。ダンスだけを見てをれば楽しいが、案外暗い芝居だつたと思ふ。ちなみに、ボクシングジムの娘を演じてゐたのは陽月華といふ元宝塚で売り出し仲の若手女優だつたのだが、まだまだ小劇場で見るには耐えなかつたね。

・9月6日。火曜日。11時すぎに起きる。昨日は仕事を休んでしまつたが、今日も午後から出勤。たつぷりと睡眠時間はとつたのだが、背中の左側に痛みがある。夜は飲みに行かうと思つてゐたが、あまりに痛いので家に帰つて休むことに。27歳で「腰痛」つて、これはちよつと恥ずかしい気もするが、腰椎椎間板ヘルニアなどは若い人のはうが多いといふ。今週は完全休暇なので、治りがよくないやうだつたら、病院で診てもらはうと思ふ。話は戻つて『ユリイカ』のB級グルメ特集の話を書きます。具体性といふ話は、結局のところ「細分化」といふか、巻頭で千葉さんが言つてゐる「食べ比べ」といふところに結びついていくんですね。ラーメンが典型ですが、同じラーメンでも無数のバリエーションがある。さういふ意味では「ラーメン」にしても「カレー」にしても、最近の「焼きそば」や「餃子」でも具体的ではあるが、実際の食べ物よりも次数が「一次高い」概念なのである。ともあれ、これつてやつぱり「収集欲」の話だよなあ。「九谷焼き」とか「輪島塗り」といつた下位区分の前提に「骨董蒐集」といふのがある。だから「B級グルメ」つて、巻頭のお二人が言つてゐるやうに、とても「マッチョ」な発想である。そもそも自炊してたりお金がなかつたりしたら、こだわりやうがないもの。だから『ユリイカ』が「B級グルメ特集」といふのでちよつとびつくりしたけれど、よくよく考へてみると(坪内祐三が書いてゐたけれど)やっぱり「王道」なのだよなあ。