12月12・13・14日

・12月12日。月曜日。代休。今日〆切日の原稿があるといふのに、部屋の壁の向こう側で大掛かりな工事をしてゐる。騒音にも耐へられる寛容な男には、残念ながら、なりきることができなかつた。所詮、その程度の男なのである。さういふわけで、仕方なく徹夜をすることに。初めて「眠眠打破」(眠気解消ドリンク剤)を服用したが、まづい。駄菓子のコーヒーみたいな感じ。

☆寒きゆえ所詮その程度のをとこ

・12月13日。火曜日。朝10時すぎに、なんとか原稿を書き上げる。書き上がつた直後といふのは、清々しい充実感があつて、文章の中身を客観的に見ることはできない(だから見ない)。夜は、四谷三丁目で「句座」の忘年会。ゲストにご近所在住のS遊さん。兼題が「梅一般」、席題が「年忘」と「悴む」。眠たいので日本酒をほどほどに11時半頃に帰途につく。

☆忘年会ウコンで始むべかるなり

・12月14日。水曜日。久しぶりに午後に起きる。充実した睡眠。10時すぎから壁際では断続的に騒音が響いていたと思ふけれど、今日は寛容な精神で午後まで寝通す。寒いなあと思つてゐたら、布団がまだ夏物だつたので、やうやく冬物にして、ここ数日でエントロピーが増大した部屋の片づけ。夜は神保町でMさんなどと飲む。奥に共著者が3名ほどゐたので、話題の(?)『俳コレ』も購入。100句他選といふところが面白い。

☆蒲団替へ許せるものも多くあり

12月9・10・11日

・12月9日。金曜日。夕方、知人からチケットを譲つてもらつて、恵比寿・エコー劇場で英国の劇作家サイモン・スティーブンスの『ポルノグラフィ』。ロンドン・オリンピックの開催が決定した日を描いた群像劇である。すつかり忘れてしまつてゐたのだが、この日(2005年7月7日)は英国人にとつて、「忘れることのできない日」となつた。「同時爆破事件」が起こつたからである。この作品は、それをいくつかの景(タブロー)で――テロリストの内省も含めて――断片的に描く。基本的には、役者に演技を要求する芝居であるはずだが、演出家は完全にそこを放棄してゐて、「わかりにくい」作品になつてしまつてゐたと思ふ(とくに最初と最後は全然わからなかつた)。水をまき散らすイメージもかなり独りよがりな印象を受けた。終演後、知人を介してイギリスに詳しい方たちと駅前のパブで飲んで、帰宅。

☆胃の痛くなる芝居見し漱石忌

・12月10日。土曜日。午後から神保町にて句会。兼題は「冬館」と「羽子板市」で、50名以上が参加。選句するだけでも一苦労である。この句会に参加するのはまだ2回目なので、雰囲気に呑まれている感じがする。普段やさしい人も、とても怖い人に見える。明らかに「ぴりぴり」してゐる。かなりやばい感じだ。サッカーに喩えるならば、この雰囲気は「シュート練習」に似てゐる。中央ではたかれたボールを(できればダイレクトで)ひたすらゴール隅に狙ふ。絶対にふかしてはならない。しかし、ふかしてはならないと思うとキーパーの正面にいつてしまふ。さういふものである。今日は5本中4本をふかした。しかもインサイドで。踏み込みが弱いのかなあ。

☆冬ざれのグランドの土堅きこと

・12月11日。日曜日。父親が上京してきてゐるので、例年の行事として、阿佐ヶ谷でうなぎを食す(父は、年末になると東京に遊びにくる習性をもつてゐるのである)。近況報告などして帰宅。明日締切の原稿を書きはじめる。一度書いた原稿の手直しなので甘く見ていたら、いま読み返してみても、全然面白くない。といふか、これを書いてゐる人間が一体何を言ひたいのか、わからない。こいつは困つた。とりあへず、気持ちを落ち着かせるために、クラブワールドカップ柏レイソルモンテレイをテレビ観戦。1-1でPK戦の末、柏の勝利! 落ち着くどころか、盛り上がつてしまつた。

☆東京に父来て雪はまだといふ

11月30日〜12月8日

・11月30日から12月8日まで。それはたいへんな日々であつた。大きなイベントの準備と片付け。読む時間はあまりないけど、買うことは買つた本たち。山口青邨『繚乱』、有馬朗人『現代俳句の一飛跡』、復本一郎『笑いと謎』、飯田龍太『俳句入門三十三講』、高柳克弘『未踏』、川村毅『新宿八犬伝』、小田嶋隆『地雷を踏む勇気』『正義が危ない』、ロベール・ミュッシャンブレ『悪魔の歴史』、高橋和夫スウェーデンボルグの宗教世界』、『現代フランス文学13人集』、東浩紀『一般意思2.0』、ウィーナー『サイバネティックス』、内田樹『うほほいシネクラブ』『呪いの時代』、伊藤比呂美『良いおっぱい 悪いおっぱい』『おなか ほっぺ おしり』『なに食べた?』、えすとえむうどんの女』、高橋源一郎『恋する原発』など。

10月28・29・30日

・10月28日。金曜日。夕方から句会。兼題は「茸」と「不知火」。不知火といふのは、九州の八代海有明海で、9月頃に見ることのできる蜃気楼のやうな現象のことを言ふ。「神の留守」や、冬の季語の「狐火」とかもさうだけど、言ふなれば浪漫主義・象徴主義的な雰囲気の季語の扱ひは、むつかしい。ただし、虚子的な自然主義写実主義的な日常性をベースにしてゐると、やや詠みにくいといふだけの話である。文学史が教へてくれるのは、両者は決して対立するものではないといふことだらう。科学と神秘は、紙一重。倫理は宗教(物語、フィクション)と切り離すことができない。句会後に「たましひの女」より、先日の俳句大会で貰つた酒をふるまつてもらふ。

☆たましひの女より受く新酒かな

・10月29日。土曜日。午後から大学院の同級生Mの結婚式のため、お茶の水の「山の上ホテル」へ向かふ。受付を頼まれてゐたのに、すつかり時間を勘違ひしてゐて、Dに任せつきりにしてしまつた。申し訳ない。会場にて、ドイツ留学から帰つてきたSと、来年2月に結婚するといふMにもひさしぶりに再会。主役のMも、よくよく考へてみれば、修士過程を修了して以来である。とてもいい結婚式だつた。まづ、挙式からあれほど笑ひを誘ふことは、常人にはできない。それもこれも、持ち前の「不真面目さ」によるものだと思ふ。不真面目万歳! 2次会がないといふのも、よかつた。15時すぎにはお開きとなつたので、Dと秋葉原で「カオス*エグザイル」を見て、憤慨して、そして帰宅。

☆不まじめな友の挙式に小鳥来る

・10月30日。日曜日。午後から句会。思へば、初めて句会なるものに参加したのは、去年の10月のことだつた。あれから1年。お祝ひといふわけではないのであらうが、今日は10人以上の参加があつて(普段は5〜6人)、何だか言祝ぎされた気分であつた。自分の句は駄目だつたんですけどね。夕方から神保町に移動して、大学の同級生の結婚パーティに顔を出す。大学1年から付き合つてゐるという事実は知つてはいたが、よくやるなあと思ふ。さういふ事実が「運命の出会ひ」を帰納的に導くんだらうね。流動的な近代社会における反-資本主義的な理想郷である。

☆神留守となりて歳時記一周す

10月25・26・27日

・10月25日。火曜日。朝から書類づくりなど。夜は新宿のルノアールで、今日も句会。兼題は「ななかまど」と「小鳥来る」。植物を詠むといふのは、まだまだハードルが高い。そのあたりに素材が転がつてゐれば別だが、(注意して)見たことがないものについては、インターネットを活用せざるをえない。さうすると、想像力で補はうとしてしまふ。これが、いけない。だいたい、想像力で補へるものなら、現実など不要なのである。しかし、「イメージ」(と言つても、これはドクサといふ程度の意味です)から脱却することが、なかなかむつかしい。さて、どうしたものか。居酒屋で打ち上げしたあとに、K石さんとPさんが合流してくれるといふので、ゴールデン街の「Rocket」といふお店へ。ハイボールを2杯ほど。あと1杯だけ、といふ声に負けて今度は「水の木」へ。「中森明菜ナイト」であつた。3時すぎに、K石さん、J子さんとタクシーで帰宅。

・10月26日。水曜日。今日は会議があるために出勤。31日締切の文章が全然出来上がってゐない。今日もまつたく書く時間がなかつた。とてもまずいぞ。夜は、知人の誘ひでシアタートラムにKAKUTAの「ひとよ」を観にいく。暴力行為を常時行ってゐた夫を殺した母親の家族の物語。一家はタクシー会社なのだが、3人の子どもたちはトラウマで運転ができない。それでも苦労して会社を潰さずに母親の帰りを待つてゐたところに、母親が帰つてくる。母親は「正しいことをした」と言い張るのだが、子どもたちは自分が受けてきた苦労から、納得がいかない……といふやうなテレビドラマ的な設定は、堪え難かった。母親が「改心」(?)する場面では、どうも泣いてゐる客もいたやうだが、思わず笑い声をあげてしまつた。

・10月27日。木曜日。昨日の代休をとつて今日は自宅療養。ゆつくりと羽根とかを伸ばす。31日締切の文章をごりごりと書く。

10月22・23・24日

・10月22日。土曜日。昼は近所でカレー。少しばかり部屋の片付けなどして、夜はキラリ☆ふじみに多田淳之介演出の「あなた自身のためのレッスン」(清水邦夫作)を観にいく。原作を読んだことはなかつたけれど、当日パンフレットを読んで、舞台が公共ホールであると知る。しかし、結構長つたらしい芝居で、集中力を保つのがむつかしい。照明にかなり気を使つてゐたらしいのだが、「演出」と呼ぶところまでは行つておらず、「演出家は何をしたんだ?」といふ疑問を抱えて帰宅。今更言ふことではないけれど、富士見市のこの劇場はアクセス的に「ただ芝居を観にいく」だけになつてしまふ。今日の芝居には、公共ホールの下には屍体が埋まつてゐる、といふ台詞が出てくるのだが、まづはきちんと人を殺して、埋めるところからスタートしなければならないと思ふのである。

☆行秋を臨時バスより眺めけり

・10月23日。日曜日。10時に起きる。午前中から知人たちと深大寺植物園および深大寺にて吟行。T田夫妻、I田夫妻を含めて、総勢19名の参加。三鷹市民であるといふことにて、声をかけていただいた。しかし盲点。こんなに近いところにあつたのに、三鷹に住んで早5年目、深大寺には行つたことがなかつたのである。昨日の雨のために低い位置にある薔薇の花は折れるやうにして垂れてしまつてゐたが、今日は秋晴れで汗ばむほど。深大寺にもたくさんの人が出てゐて、お昼はKさん、S山さん、Mちゃんと模範的に「深大寺そば」をいただいた。主宰がいないからと控えめに深大寺ビールを1本づつ。その後、吉祥寺に移動して句会。写生句を読んだつもりが、S山さんに「シュールすぎて取れなかつたよ」と言はれる。うーん。その後、8人で打ち上げとなり、さらに残つた4人で「いせや」で30分ほど立ち飲み。「また明日」と言つて、帰宅。

☆武蔵野の一段高き秋日かな

・10月24日。月曜日。9時に起きる。やや昨日の酒が残つてゐる感あり。夜は月例の超結社句会。今月は、事前投句制の句会に出した句はほとんど考える時間なく作つた句だつたので、無選覚悟だつたのだけど(点が入ればいいと言ふわけではないが、やはり入らないのは淋しい)、免れるどころか、講評でニューヨークから来日してゐるPさんにコメントまでしていただける光栄。ただし、その句は他の方々からは「ふざけてゐる」と言はれる始末。やはり食べたことない食べ物、といふか視覚的に嫌悪感を催す食べ物(この場合は柿です)について詠むといふのは難しい。柿色のもの(雲丹、南瓜、夕張メロン、マンゴーなど)は、ほとんど食べたことがないので、困るのですね。柿が太陽の光を受けてあんな色になつた、のやうなことさへ罪悪感が伴ふ。今日はあまり飲まずに帰宅することに。

☆柿食うたことのなきかな三十年

10月19・20・21日

・10月19日。水曜日。今日はお休み。もしも仕事があつたら、文科省まで偉い先生方のお供をしなければならなかつたのだが、幸ひして、家のなかでごろごろする日となつた。夕刻より、自由が丘で友人のNさんとFさんと3人で飲む。最初は「金田」といふ駅前の居酒屋で、料亭風とは言はないまでも、旬のもので作つた小皿のおつまみを肴にして、瓶ビール(赤ラベルであつた)で喉を潤したのち、日本酒を2合ほど。Fさんが「からだが炭水化物を欲してゐる」と本能的欲求を告げるも虚しく「ごはんものはないんですよ」といふ返事。酒飲みの店だねえ。日本酒の数がもつとあつたら嬉しいけれど、料理も旨かつたし、いい店だつた。7時以降は予約不可だといふのでご注意を。そのあと、14周年を迎へたらしい「Speyside Way」といふバーでウヰスキーを2杯ほど。御岳山の話など。2人が結構酔つ払つてゐて、コントのやうなやり取りを終始してゐた。

☆衣被剥きつつ恋の話など

・10月20日。木曜日。朝から書類作成など。夜は池袋にて鳥公園の「おねしょ沼の終わらない温かさについて」を観る。決してつまらなかつたわけではないのだが、もやもやしたものが残る芝居だつた。一言で言ふなら「裏グータンヌーボ」かしら。優香や江角マキコにあの台詞を喋らせてみたいものですね。でも、かういふ作品で劇評を書く人は大変だと思ふ。ひさしぶりに池袋に来たことだし、一人で「硯家」といふ明治通り沿ひのうどん屋へ。うどん屋なのだが、日本酒がたくさん置いてあるお店なので、この時期はつい行きたくなつてしまふのである。今日は白子の天ぷら、穴子の白焼きなどをいただきながら、「水芭蕉」のひやおろしなど。旨し。

うどん屋でひとり頂く新走

・10月21日。金曜日。朝から書類作成など。夜は六本木にてカルロッタ池田、パスカルキニャール(!)、アラン・マエといふ現代音楽家によるパフォーマンス「王女メディア」を観る。キニャールの朗読は、彼なりのメディア論(「メディアは真昼に物思ひにふける」)で、少し嗄れた声がセクシーであつた。メインはカルロッタ池田の踊りだつたのだらうけど、キニャールのパフォーマンスのはうが印象的だつたのは、私だけではなかつたでせう。小屋を出ると外は雨。M川さんと、(一昨日も飲んだ)Fさんと3人で駅前のお好み焼き屋へ。ネギ焼き、そばめし、シーザーサラダなどをいただきつつ、ビールを1杯。昨日の鳥公園の話など。

☆秋雨やメディアはけふも物思ふ